Ryo Tajima

Ryo Tajima

出生 : 1987-08-27,

プロフィール写真

Ryo Tajima
Ryo Tajima

参加作品

ユダ
Shinkai
裏切りを体験し、それによって他人を信じることができなくなってしまった女子高生の絵里香。彼女はキャバクラ嬢の胡桃となって過去に別れを告げ、夜の世界で生きていこうと決意する。ナンバーワンキャバクラ嬢の座に君臨すべく、客の男たちの心をつかみ、操り、大金を稼ぎ出していく胡桃。しかし、一方でいいようのない深い寂しさやむなしさを感じていた。そうした自分の弱さを少しでも振り払おうとキャバクラ嬢のトップを目指して突き進む中、心を覆っていた硬くて厚い壁を優しく取り払おうとする男に出会う。
あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった
Takashi Kikuchi
カウラ事件について─ オーストラリア・カウラは、シドニーの西320キロにある小さな街です。1944年8月5日、この街で日本人捕虜たちが暴動を起こしました。1104名の捕虜による、史上最大の大脱走。オーストラリアでは誰もが知っている有名な事件です。しかし、日本の歴史教科書には登場しません。なぜでしょう。『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』この戦陣訓にしばられ、当時の日本政府はこの事件を隠蔽し、当事者のほとんどが口をつぐんだからです。事件の夜、暴動に賛成か反対か、日本人捕虜全員による投票が行われました。トイレットペーパーのミシン目で切った紙切れに、 ○は賛成=「死」×は反対=「生」8割が「死」を意味する○をつけ、暴動は決行されました。武器らしい武器もないまま、食事用に支給されたナイフやフォークを手に、自殺志願としか言いようのない大暴動でした。私は伯父から、この事件の話を聞きました。伯父はニューブリテン島で餓死寸前のところを捕らえられ、暴動までの4ヶ月間をカウラ第12捕虜収容所で過ごしました。しかし、長い間、伯父は自分が捕虜だったことを家族にさえ打ち明けられなかったそうです。暴動の夜、伯父はかけがえのない戦友を何人も亡くしました。彼らはカウラの日本人墓地に今も「偽名」のまま眠っています。書かなければいけない、と私は思いました。平和の時代を生きる若い人たちに、どうしても伝えたい。64年前、なぜ伯父たちは生き延びるためではなく、「死ぬための脱走」をしなければならなかったのか─彼らの友情、青春、恋愛、そして、生命の重さを─